善光寺如来絵伝  口演 林 麻子(祖父江善光寺東海別院副住職夫人)






 ただいまより三国伝来善光寺如来様の御絵解きを申し上げます。

(讃題)そもそも信濃の国は善光寺のご本尊、一光三尊の阿弥陀如来様御出現の始まりを伺い奉る。事の起こりはかたじけなくも大聖釈迦牟尼如来様、これを経中に説き給へり。その経を『請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経』と申し奉るなり。

(詞)ただいま申し上げましたこの『請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経』というお経は、お釈迦様が存命中に善光寺如来様のことについてくわしく書かれたお経であります。善光寺如来様がこの世に御出現になった始まりから天竺(インド)、百済(朝鮮)、そしてわが国にお渡りになりましたまでのその肝心なところを抜きいだいて絵にいたしましたものが、ここに掲げてありますところのおかけじ(掛け軸)でございます。このおかけじについてお取次ぎ申し上げます。

(節)その昔、お釈迦嫌におかれましては天竺は毘舎利国、大林精舎にましまして千二百五十人の大阿羅漢らに御説法まします折から、同じ国には月蓋大長者有り。月蓋大者が天子様の代わりをなし、他の五百人の長者と心をあわせて国のまつりごとをつかさじるゆえ、月蓋大者の富貴自在になることは、他の長者の及ばざる程なり。その月蓋に年五十一歳にして儲けし如是姫という娘あり。この如是姫の姿形の麗しいことは、春の花に露を含み、青柳の風になびく如き、もれ出づる月の面影の如く、言葉では言うにいわれぬ美人ゆえ、月蓋長者の寵愛は限りなきことただ手の中の玉の如し。その娘が言うことなれば、千金を費やすとも、人のためにということなれば、口より舌を出すのもいや、袖より手を出すのもいや、という如き慳貪邪険な者なれば、お釈迦様が大林精舎において御説法ましますといえども、お参りするが如きことは、暁の夢にも知らぬという者なり。
 かくて、毘舎利国中の人々は、月蓋長者に見習いてますます心慳貪邪険となり、それがため、邪気満ち満ちて、ついには悪鬼邪神が国中に五種の温病という悪疫をもたらし、国中の人々はおろか無知なる牛馬に至るまで、この病いにかかリ苦しむ姿は哀れなり。如是姫が十三歳の秋のころ、この病にかかり、日ごと夜ごと苦しむ姿は哀れというもまた愚かなり。月蓋長者は、薬や療治や祈念祈祷を致されても、さらにその効能もなく、最後に名医者婆がさじを投げて申すようには、
 「この病気は体から出でたるところの病気ではございません。心が慳貪邪険ゆえ出でたるところの病いゆえ私では治すことはできません。」
と申される。如是姫は朝より夕と弱りいき、命はさながら風前の灯というありさまに、他の長者たちが声を揃えて申すようには、
 「この病、医薬や神力の及ぶところにあらず。この上は手をこまねいて終わりを見んよりは、大林精舎にましますところのお釈迦様のもとへ赴き、如是姫の御救済をお願い致されよ。」 …


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